公職選挙法の罠
罠なんてタイトルをつけたけど、そんな高尚な話じゃないです。
今回の記事で出てきた内容。
選挙運動をするために人を雇い、その報酬を払うと違法ということだ。
https://www.mbs.jp/news/sp/kansainews/20190906/GE000000000000029495.shtml
さて、この判決から考えられる問題を挙げると、ズバリ『選挙運動で報酬を払うと違法』という事だ。
事務所の家賃や水道光熱費はまぁいいとして、ポスター費、事務職員や給仕係などの人件費、タスキ代、レンタカー費用も、全てに金がかかる。
これらを支払う事が違法とされかねない。
と、思う。
なんでって、「うちで契約してくれれば、従業員全員の票を上げます」とか、「うちの社員を運動員として働かせます」みたいな便宜を図ることにならない?
って疑問から。
つまり、選挙に出る候補者は、全てを無償で賄えって事ですよ。
これって無理じゃなか?
例えば、大政党ならそこからの人的投入で何とでもできるが、弱小政党や無所属などの場合、自前で賄わなくてはならないというの現実的ではない。
ウグイス嬢も、事務職員も、給仕係もボランティア。
賃金を払ってはいけない、と。
田舎の議員選挙ならともかく、国政選挙となるとそうはいかない。
活動範囲も広がる。
ポスター掲示板に貼るだけでも大変になる。
某政党は、支持母体の宗教団体から無償で運動員を得ている。
ポスターだって、解禁と同時に指定枠番号に貼ってくれと、近所に任せるレベル。
だからあそこは貼り漏れがない。
個人でこれをやるとなると無理がある。
人を雇ってと考えても、公選法では違法。
ではどうすればいい?
金のある大政党の公認、巨大宗教団体を支持母体に持つ、市民という謎の活動家集団など。
数を背景にしないと立候補できない国になってしまう。
これでは、弱小の声は政界に届かない。
それでいいのだろうか?
もうちょっと、ドライなビジネスと割り切れる制度を模索しては?
例えば、候補者の選挙区以外の業者や居住者を有償で雇うとか、選挙区以外の地域の業者との取引しかできないなど。
それで、公選法の趣旨は守れる。
全国企業みたいなところは取引禁止。
A市の文房具屋さんが、F市の市議選の準備を手伝うのはOKとか。
そんな感じならどうだろうか。
国政の場合でも、小選挙区ごとに区切ればいいと思う。
地方のお店や会社もお金が落ちれば潤うし、地域活性にもなるんじゃないか?
と、素人が申しております。
まぁ、今回の判決、この記事では詳細が分からないけど、選挙ビジネスに一石を投じる判決となることを祈ります。
韓国は嘘つきの天国
本当におかしな国である。
韓国という国は、見栄を張ることが大事なようだ。
常に相手の優位に立ち、自分達がイニシアチブを取っているという満足感を得たいのだろう。
そもそも朝鮮という国は、元は中国の従属国のようなものであった。
大東亜戦争の時代、朝鮮は日本の国になりたいと申し出してきた。
当時の日本は、他の問題が山積していて、朝鮮を構っている余裕などなかった。
なので、1度はこの申し出を断ったらしい。
しかし、朝鮮は「中国に従属したくない」「対ソ連の防衛に有利」などと言って食い下がってきた。
そして日本は、朝鮮を併合した。
病人だらけだったので病院を作り、読み書きができない国民が多かったので学校を作り文字を教えた。
朝鮮人は「日本人になりたい」「日本人っぽい名前がほしい」と言ってきた。
日本はそれを断った。
しかし朝鮮人は、勝手に和名を名乗り出した。
戦争が続くにつれ、日本は兵器製造や、内地の復興のための労働力が必要になった。
各企業で働けるよう、かなり高額な給与で朝鮮人を雇った。
彼らは働き、かなりいい給与を貰い、故郷の家族に仕送りをしたり、独り者はギャンブルや酒などで散財していたらしい。
また、戦線の拡大に伴って兵隊が南に下ると、朝鮮人は女性を雇い慰安婦という名の売春宿を作った。
彼女達も自ら朝鮮人の元締めの下で働き、高額な収入を得て、故郷に仕送りをしていた。
朝鮮人は、日本の破竹の勢いを側で見ていて、欧米人の手下にならないよう、隣国日本になろうとしていた。
しかし、日本は戦争で欧米に負けた。
敗戦国となった日本は、裁判で色々と裁かれ、罰金を課せられ、賠償金も払う事になる。
朝鮮人は欧米人に対し「我々は植民地支配されていた」「我々は無理矢理日本人にさせられた」などと言い始めた。
しかし、欧米はこれを取り合わなかった。
朝鮮を「第三国」という位置づけにしたからだ。
朝鮮は、戦争などの武力によって植民地化されたわけではないし、そもそも日本と朝鮮は戦争していなかっただろう、と。
よって、朝鮮は敗戦国でもなければ戦勝国でもない「第三国」となったわけだ。
さて、これが歴史である。
その辺を解説しているのが件の書籍である。
韓国国内でちょっとした話題にあがっているらしい。
「この国は嘘つきの天国」韓国ベストセラー本の刺激的な中身|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
この記事自体はどうしても韓国を擁護したいようだが、読者や著者に遠慮してなのか、歯切れの悪い内容を書いている。
このような書籍が韓国人の手によって、韓国国内で出版さてていることが喜ばしい。
日本人であっても、先に述べたような事実を知らない者も多い。
日本人なら、正しい歴史を知り、韓国のような嘘つき国家を糾弾しなくてはいけない。
自分達に誇れる文化がないのが韓国である。
最近まで漢字とハングルを併用していた国である。
とにかく見た目が重要なので、美容整形が発達している。
歌手なども、バカの一つ覚えのように大人数のグループを作り、似たようなダンスで異性の興味そそり、日本でデビューしようとする。
歌も踊りも、顔までもみな似通った感じで気持ち悪い。
まぁ、まったく文化がないとは言わないが、韓国人の根底にある劣等感はすごい。
彼らの反日主義的感覚の原動力は、この劣等感なのだろう。
劣等感を隠すため、金儲けをし、贅沢な暮らしをする事がステータスなのだ。
大学卒業も当たり前で、大卒でないとまともな就職口もない。
財閥と呼ばれるグループの上位企業に就職し、顔立ちのいい相手と結婚し、親の面倒を見て死んでいく。
これが韓国のリアルなのだ。
金が全て、学歴が全て、就職先の知名度が全て、交際相手の美しさが全て…
こういった物欲主義的社会構築なのだ。
相手の優位に立つため、嘘も平気でつく。
ようは、ハッタリである。
これを国家レベルでやってしまうのが韓国なのである。
自己顕示欲の塊。
物欲主義的な腐った発想しかできない国民性。
ブランド力、財力にめっぽう弱い国民性。
情けない程に未成熟で、下らない程に嘘つきなのだ。
こんなクソガキ国家と付き合っていくメリットって何があるのか?
クラスで浮いているヤンキーを相手にしているような感覚であいかない。
我儘で傲慢で虚言癖で妄想狂な国家とはさっさと国交を断絶し、輸出入、文化交流も含めて一切の取引を停止し、日本国内にいる在日韓国人、在日朝鮮人を国外追放すべきであろう。
通り名などというふざけた制度は廃止し、一般人にも、すぐに韓国人朝鮮人であることが分かりようにするべきである。
日本は、いい加減怒っている。
史実を無視し、自分達の都合がいいように歴史を改変し、あらゆる手段を使ってユスリやタカリを繰り返す国家である。
それ相応の対価を払っていただきましょうかね。
自由と福祉
福祉と聞くと、老人介護や医療などを思い浮かべるだろう。
しかし、今回ここで語るのは『公共の福祉』について。
何が違うかというと、ここで言う公共の福祉とは、憲法で保障される様々な自由権を行使する上で絶対に守らなければならない制約の事である。
ここ最近、左翼界隈の連中は『表現の自由』を盾に無茶苦茶しているのである。
参院選の演説の場で、集団的に罵声を上げて候補や政党の演説を妨害するという公選法違反を『表現の自由』だと言い、排除した警察を非難している。
極めつけは、愛知での表現の不自由展の中止。
過去に展示中止になった作品を展示するという、面白い企画だったが「何で中止になったか」という事を理解できていれば、そんな馬鹿な展示をしないで済んだだろう。
さて、まずは表現の自由について。
憲法には『集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない』と第21条に書かれている。
集会、結社は、何かの意見を訴える為に集まり、またその意見を主張する集団を結社する事を保障しますということ。
言論、出版は、自己の主張をするために声を上げたり、その内容を出版する行為を保障するということ。
検閲は、これらの行為を行政などによって事前に審査し、合否を決めて否とされたものの出版、展示、上演、公演を禁止するような事を指す。
通信の秘密とは、封書、電話やメールなど、秘密とする内容を公表してはならないということ。
また、公開しなくとも、その内容を第三者が見聞きする事を指す。
憲法では、集会結社、言論、出版のなどの表現の自由を保障するとしている。
また、検閲を禁止し、通信の秘密を保障するとしている。
自由権は他に、信教の自由、職業選択の自由、転居の自由、経済の自由、学問の自由、思想良心の自由など様々なものがある。
これら自由権は、FREEではない。
思想良心の自由を除いて、全て公共の福祉に反してはならないと制約が付いている。
公共の福祉というのは何か?
専門的に解説すると難しいので、ざっくりと簡単に言うと『人様に迷惑をかけてはいけない』という事だと思ってくれればいいかと。
自分の主義主張をするのはいいが、その手段が人様に迷惑をかけてはいけないという大前提がある。
例えばヌードの話。
性器を露出することは、日本においては公共の福祉に反すると考えられている。
モラルを持った社会の形成を優先するので、性器などの猥褻物を公にする事は、青少年の健全育成、社会秩序の維持などの観点からNGなわけ。
先の参院選の罵声問題も同じ。
聴衆は、首相が何を話すのか聞きたいわけ。
首相だって、自党の候補を当選させるため、候補の人柄、政策を訴えたいわけ。
しかし、罵声を上げる連中がいる事で、静かに話も聞けない、自分の想いを伝えられないという事態に陥る。
このような場で罵声を上げる事は『公共の福祉に反する』と判断だれるわけ。
よって、公職選挙法にも、講演を行っている場でのヤジを禁止しているのだ。
罵声を上げる連中が排除されることに、何の問題もないだろう。
表現の不自由展に関して言えば、それら展示物が『公共の福祉に反する』かどうかが争点になる。
日本政府の立場は、慰安婦問題は解決済みであり、過去に政府や軍部主導で慰安婦を組織運営していた事実は無いと判断している。
また、従軍慰安婦問題は、朝日新聞社によるフェイクニュースだったと、当の朝日新聞社が認めて謝罪している。
そのような事実に照らし、かの少女像を展示することに関して税金を投入することは問題だと考えられる。
個人が財を打って、民間の場所で展示する分には表現の自由の観点からアリだろうが、公共の施設で、税金を使って展示する内容ではない。
河村市長が「不適切」と判断し「撤去すべき」と発言したことを、吉村知事は「公権力による検閲」と言ったが、これは的外れである。
民間の敷地で、民間人が私財で展示する物に公権力が中止を求めるのは検閲と批判されるだろう。
しかし、税金を使って公共の施設で展示する場合、それなりの制約をかけるのは当然である。
また、公権力が展示の可否を決めるのも妥当である。
我が国の姿勢、歴史に反する展示であれば、公共の施設からの撤去が妥当なのは当然ではないのか?
知事ともあろう者が、検閲などと軽口を叩くのは異常だと思う。
さらに、11日の朝のテレビ番組において、桜井よし子氏が「昭和天皇の御影や焼くような展示物もあったが、自国の元首の写真を燃やすような国家がどこにあるか。」と苦言を呈していた。
橋下元大阪府知事も「元首など関係なく、個人の写真を焼くという事自体が許されるべきでない」との発言もあった。
全くもってその通りである。
政治家ではなく、国の象徴である昭和天皇の御影を焼くという展示のどこに「表現の自由」があるというのか。
これが表現しているのは、憎悪以外の何でもない。
とても不快である。
この他にも、旧軍時代の特攻隊員の寄せ書き日の丸をバカにするような展示物もある。
寄せ書きされた日の丸の下に、何か悪口の書かれたドームがあり、その下に星条旗が敷かれている。
一体何を意味するのかわからない。
その寄せ書きの持ち主である特攻隊員やその家族はどう思うのか。
寄せ書きを書いた人の想いはどうなのか。
表現の不自由展の展示物は、何らかの理由によって展示が中止されたものばかり。
つまり、元から公共の福祉に反すると烙印を押されている物を敢えて展示しようとしたわけだ。
そんなもの中止になって当然なのである。
決して、表現の自由の危機などではない。
決して、政府や公権力による侵害行為ではない。
自由権があるから、認められているから、新聞記者などという著書が出て、映画化されている。
自由が認められているから、こんな展示を企画監修しても逮捕される事なく、記者会見で自由に発言していられるのだ。
日本は、本当に自由な国である。
この自由は、公共の福祉に反しない限り、憲法によって保障されている。
国民の不断の努力によって、維持し、決して濫用してはならない権利なのだ。
バカの極み
この記事を書いている奴は歴史を語れないな。
慰安婦問題は、朝日新聞が作ったフェイクだった。そう結論が出され、朝日新聞社が公式に訂正している。
その事実も認められず、未だにあったかのように書いている。
もうね、見てて可哀想になる。
そのフェイクを世界に広めて事実にしようと企んだ結果、この少女像が作られたわけだ。
だから日本では「慰安婦像」ではなく「売春婦像」だと言っている人がいるわけで。
本当に情けない。
こんなフェイクニュースに踊らされ、韓国にしなくていい賠償をし、謝罪をし、我が国の歴史を作った先人の名誉を汚したわけだ。
何より、まずはこのフェイクニュースによって得た利得を全て返還してもらい、韓国大統領には公式に謝罪をしてもらわないとw
どっかの鳩ぽっぽみたいに、靖国で文に土下座してもらおうかwww
冗談はさておき、未だにこんなことを書いちゃう奴がいるという事に驚き隠せない。
正しい歴史認識は、左翼ではダメである。
自分たちに都合のいい解釈しかできない連中だから。
ネトウヨというワードを使う奴に、マトモな人を見た事ない。
そのワードを使う人というのは、自分の主張を正しいと思い込み、自分の意見に反する人を攻撃しかしない。
一方、ネトウヨと揶揄される人は、愛国心の欠片をもっており、本当に右寄りの人は自分を右寄りとは言わない。
その上で自国の過ちを認め、正すところは正し、その上で正しい思考をされている。
ようは、常識的なのだ。
一方の左翼的な思想の人はどうだろうか?
自分達の意見や行動に異を唱えられると、一瞬にして激昴し、相手を批判し、理論の破綻も無視して我を通そうとする。
道理を引っ込めようとするのが左派の特徴といえよう。
どちらが人として、日本人として正しいか。
そこを基準に判断していただきたい。
まぁ、何にせよ、こんな薄らバカな記事を喜んで読むのは、典型的な左翼脳の信者ばかり。
近付かないほうがいい。
クワバラクワバラ。
八代弁護士、河村たかし、松井一郎が“慰安婦問題はデマ”とネトウヨ並みフェイク! あらためて中曽根証言など日本軍関与の証拠を見ろ|LITERA/リテラ
色物枠が奮闘!?
これも補足を。
社会の多様性を考えた時、障害を持っている方々が積極的に社会に参加するのは有りだと思う。
議員として活動できるのかや、議員本人の意思を政策に反映できるのかなど、様々な意見はある思う。
しかし、そこを健常者と障害者で分けてはいけないと思う。
健常者であっても、まともに政治家として意識を持てない輩もいる。
議会中に居眠りしたり、料亭に行きたいなどと発言したり、酔って有権者に絡んだり。
れいわの比例当選者2人に政治家としての資質があるかどうかは、今後の活動次第で見極めるところではなかろうか。
N国の議席獲得は意外といえば意外。
前評判では多少の評価はあったものの、政見放送を見た人達の評価は「ヤバい」だったのではなかろうか?
色物も色物。
ネットで一時話題になった、泡沫候補を彷彿とさせる候補者の顔ぶれ。
あの政見放送は、ある意味で伝説となり、すでにネットにはMAD動画が溢れている。
完璧な色物枠となってしまった。
しかし、その色物が議席獲得だという。
正直言って驚きを隠せない。
日本人はお祭り好きではあるが、一定の節度を持っていた。
過去に泡沫候補が当選しなかった理由はそこにある。
しかし、今回は違う。
色物枠から当選者が出てしまった。
NHKをぶっ壊せるのかどうか。
今後の動向が気になる次第。
しかしまぁ、1議席程度であれば何もできずに終わってしまうだろうな。
しかも、参院だし。
活用は必要だが
最近の国会議員は若者ウケを狙ってか、TwitterなどのSNSやyoutubeを活用している。
それ自体はいい事だと思う。
国会中継では見られない姿なども見られるし、考え方や思想、政策などを広報するのに有効であろう。
マスコミも取り上げるが、そもそも勘違いしてはいけない。
SNSやyoutubeは、あくまでもツールでしかなく、それを見ていたとしても、ヤラセや作り物だとあっさり見破られるということだ。
ネットというのは便利で、過去発言やメディアへの露出など、簡単に遡って調べられる。
中には、隠したい過去出てくるだろうが、清濁合わせて詳らかにされてしまう。
ネットを活用するという事は、そのリスクも負わなくてはならないことになる。
ネットが普及すればするほど、過去の出来事がいつまでもついてくる。
過去にテレビ出演した頃のキャプチャーが流れて、当時の自慢話が世間に晒される。
過去の週刊誌の記事でインタビュー答えていた内容のキャプチャーが出て、成人後も他国籍だった自覚があった事がバレてしまう。
さらに、かつての仲間が過去の出来事を暴露するケースもある。
ネットというのは、いつまでも過去が残る。
ただ残るならともかく、下手をすると改ざんされた過去になることもある。
それだけに今の時代では、自分の発言に責任を重く伴わなくてはならなくなっている。
言質を取るというが、たとえ24時間で自動で消える投稿だったとしても、投稿した瞬間にキャプチャーされている。
記録は確実に残される。
国会議員のみなさん、著名人の方々は、ますます大変になっていきます。
素人一般人とは違います。
己の行動に責任を持ち、しっかりとした政治活動をお願いしたいです。
民主主義への挑戦だ
先程のツイートの補足を書きましょう。
選挙の際の演説というのは、あくまでも聴衆に対してその候補者や政党が、己らの実績、政策、公約を語る場であって、支持者や反支持者と意見交換をする場ではない。
皆が黙って話を聞き、自分の代弁者に成り得る存在かを見極めなくてはならない。
そんな大事な品定めの場で、大声出して演説を聞こえなくしたり、横断幕や幟で視界を遮ってはいけない。
それは、自由選挙を妨害している行為なのだ。
「政治家は自分達の声を聞け」
最もらしい事を言っているようだが、これは大間違い。
国会議員、特に参議院議員の場合、国政を執り行う上で議論をする相手は国会議員や閣僚、官僚である。
国民の声を直接政策に反映させるのは、衆議院議員である。
国会議員、しかも閣僚や首相に対して直接意見を言うなら、遊説で街頭を練り歩き、握手して歩いている時ぐらいだろう。
後は、ホームページやTwitterなどで意見を送るくらいだ。
演説の場で声を上げるのは、話を聞こうとしている人に対して失礼だし、候補者の想いを伝えるチャンスを潰すことになる。
これは公職選挙法で禁止される行為だ。
それだもの、警察が妨害者を排除するのは当然。
表現の自由ではない。犯罪行為だ。
表現の自由を標榜するなら、公共の福祉を侵害するな。
反安倍が街頭演説を妨害するのは、公共の福祉の侵害でしかない。
表現の自由は成立しない。
よって、公職選挙法で定める選挙妨害となる。
自由とは、FREEDOMではない。
公共の福祉の制約の下、何者に害されない行為行動を指す。
公共の福祉を害すれば、一定の制約を食らうのは当然である。
どうしても自分の声を直接言いたければ、国会議員になり、同じ土俵で議論すればいい。
それができないなら、自分の代弁者たる議員国会に送り、しっかりと声を上げてもらえばいい。
それが選挙なのだ。
民主主義の根幹でもある選挙の妨害は、民主主義の破壊に成りかねない。
それを、表現の自由の侵害や、国民の声を封じるなどと的外れな指摘はナンセンスだ。
今回の選挙で面白いのは、与党の選挙運動に対する妨害ばかりがクローズアップされている。
与党支持者が、野党候補の演説を妨害して捕まったという報道はない。
さて、本当に民主主義を重んじ、この国の為を思っているのは、どちらの支持者なのだろうか?
泣いても笑っても、今夜結果が出る。
その前に、みんなで選挙に行こう。
自分の声を届けてくれる代弁者を、しっかり吟味して一票入れよう。
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